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ペットを看取るということ 天国の犬からの宿題

第2話:愛犬との運命の出会い。それは心が折れていたあの夏

日経ビジネスオンライン
2009年5月27日掲載

【執筆こぼれ話】

最近もの忘れが多い。それは自分にとり不要なことは心に留めずに流すという自浄作用なのではないかと自己弁護をこめて納得している。しかし、第2話のピピとの出会いの風景、そこに至るまでの夢模様などは12年を経た今でもくっきりと記憶にある。愛らしい瞳、小さな体に漲ったエネルギー、私の腕にすりよってきた温もり…その存在を今も身近に思う。

冒頭の「涙も喪失感も、何とさまざまな形をもっているのであろうか」という一文は、ピピを喪って3ヶ月、血がにじむ思いで吐き出されたものだった。時は過ぎ、次第に心は落ち着き…2009年8月31日ヨークシャーテリアのメスが生後64日でやってきた。そんな日々にあっても、ピピへの哀切の情はまだ胸の深いところを静かに撫でてゆくのである。

2008年12月27日、大切な家族であったヨークシャー・テリアのピピが腎不全によって虹の向こうに旅立った。看病に関しては幸い、「できる限りのことはやった」という実感を持つだけの時間は与えてもらえたが、そう考えたとて悲しみが減るわけではない。月日が経つごとに、胸の痛みは時ところを選ばず心の奥深くへきりきりと刺さり、涙は「なぜ、今?」と驚くような場面であふれ出す。

涙も喪失感も、なんと様々な形を持っているのであろうか。月日は過ぎ、季節は衣を替える。今さらながら、「これほどまでに、ピピと深い絆が築かれていたのか」と感慨深い毎日である。

というのも、12年前の私にとって、このようなことは全く予想しないばかりか、「動物を飼う」という表現すら語彙の中にない生活を送っていたからだ。

額縁の中、本人、そしてペンダントの中と3重写しのピピ(10歳)
額縁の中、本人、そしてペンダントの中と3重写しのピピ(10歳)

仕事上の人間関係に傷ついていた頃、ペットの夢を見た

当時、私は外資系企業でのパワーゲームの不毛な争いにより職を失ったという苦い体験を経て(詳細は、『もう、「ひとり」は怖くない』、祥伝社を参照してほしい)、人事戦略コンサルタントとして活動しつつあった。

しかし、つらいその経験は、心にそれまでの長い社会生活でたまっていた澱のようなものを表出させるきっかけとなっていたのだ。自尊心は傷つき、折れた心はまだ修復の途中にあり、さらにそのことを誰にも表現できずにいた。

そんなある夜、夢を見た。

かつて働いていたビルがあるニューヨークの五番街を、私はまっ赤なリボンを首につけた小さな豚を連れて歩いている。そこにいる私は、とても幸せそうだった。目覚めても記憶は鮮明で、夢に出てきた小さい生き物がとても気になった。

それまで無気力感がどこかにあった私は、ひるがえって何かに憑かれたかのように行動を開始した。調べてみるとその小さな豚は、スキニー・ギニア・ピッグという小動物らしい。その動物を扱うペットショップを見つけ出し、中野へと急行した。

ケージにいたそれは、本当に絵本に出てくるような「手乗り豚」だった。丸々とした清潔な肌に惹かれ、これに赤い首輪をつけて、歩く幸せを思った。

しかしその時、隣でささやくカップルの声が聞こえたのだ。「かわいいけど、この子、すごく好奇心が強くて動きも速いんですって。部屋の隅に隠れてしまって、探すのに苦労するみたいよ」。

そんなやり取りを耳にして、私のファンタジーは一気に現実に引き戻された。「そうか、生き物を飼うとは、そういうことから考えないといけないんだ」。

しかし、この時私の中で眠っていた何かのスイッチが、無意識の内に押されてしまったのだ。

中野のペットショップでの顛末を友人に話すと、いとも簡単に「じゃあ、犬を飼えば?」という答えが返ってきた。それを聞いて、私の中には即座に次のようなウォーニング・ランプが点滅した。

1つ、これまで1人でやってきたのに、自分でコントロールができないもの(本能で動く存在)をライフスタイルに取り入れるなんて無理ではないか。

1つ、30代で独り暮らしの女性が犬を飼う? いよいよ「愛情のはけ口を犬に求め、寂しさを紛らわしているかわいそうな人」というオーラを出すことになる? そのうち犬に手作りの洋服を着せ、赤ちゃん言葉で話しかけ、犬を擬人化している我に気づかない愚かな人間になるの?

1つ、心と体を整え、何とかこれから仕事をしようとしているのに、なぜ今、犬を飼うの?

1つ、犬には4歳の頃に洋服を、17歳の時に左目を噛まれた経験がある。そんな怖い犬をなぜ飼うの?

1つ、動物の命を預かる覚悟が、経済的、肉体的、心の余裕として今の自分にあるの?

その頃の私は、生まれて初めて自分自身を支えることに自信を失っていた。五里霧中、試行錯誤、七転八倒。ロンリネス(「ひとり居」の寂しさ)とソリテュード(「ひとり居」の喜び)の間で揺れ動き、どこかの岸辺へとたどり着こうともがいていたのかもしれない。

だから、明らかなウォーニング・ランプにもかかわらず、ブレークスルーを求めて未知の経験を無意識に選んでいたかもしれない。

それから、私のペットショップ巡りが始まった。これまで人生の選択肢になかったことを始めるのである。まずはタウンページでショップを調べ、一番大きいと書かれた秋葉原の店へ行った。おそるおそる、店に足を踏み入れると、独特の動物の匂いが鼻を突く。

「どんな子をお探しですか?」とにこやかに店員が尋ねる。
「子? …あのぅ、犬を…」
「はい、ご希望の犬種があればその子を連れてきます」
「いえ、何も分からなくて。小さいのが…」
「それでしたら、生まれたてのかわいい子がいます」と言ったかと思うと小さなふわふわしたグレーのかたまりを連れてきた。

「抱いてみますか?」
「はぁ…」。ぎこちないまま抱き上げたそれは、暖かくかわいらしかった。
「はい、では写真を撮りましょう。そうだ、名前をつけてみませんか」

私は、その時点でやっと我に返った。「このままこの子を抱いていると、連れて帰ることになる」と。私は、後ろ髪を引かれる思いでその犬を店員に戻し、店を後にした。同時に、私は自分がいかに犬を飼うことに対して無知で無責任であるかを痛感した。

猛勉強の末、いっぱしの犬オタクになった私

その翌日から私の猛勉強が始まった。

どの犬が自分のライフスタイルに一番合っていて、どれだけ費用がかかるのかなど、しつけ本も含め数十冊を一気に読んだ。

そして1カ月後。性格が穏やかで、しつけも入れやすいキャバリア・キングチャールズ・スパニエルに決定し、ブリーダーからメスの子犬を購入する手はずを整えた。ケージなど当面必要なものを準備し、1カ月後のその日を待った。

待つ間に、私はいっぱしの犬オタクと化し、既に犬のいない暮らしなど考えられないようになっていた。雑誌、新聞、TVのどこを見ても、犬のことばかりが目に飛び込んできた。夢から始まった未知の経験は、何かに導かれているかのように完璧に進んでいるように見えた。本によれば、犬の名前は2音か3音程度の短く分かりやすい発音がいいと書かれていたので、いろいろ考えた末、かわいい女の子のイメージから「ピピ」と決めた。

1997年7月12日。いよいよその日が来た。

約束の時間に仲介ショップに行った。ところが、犬はまだ到着していないという。飛行機で来るそうなのでフライトの遅延を確認するが、異常はない。なかなか繋がらない電話をやきもきしながら待つこと1時間。ブリーダーへ連絡が取れたところ、何かの手違いでショーに出されてしまっているので、私のところには送れないとのこと。

前夜から子供のような興奮状態と、新家族を迎える緊張で風船のようにパンパンに膨らんだ心は、一気にしぼんでしまった。

冷静になった今振り返ると、当時の私は計画通りにいかないことで動揺してしまうほどに、心が繊細で弱っていたのだと思う。そして温もりを無意識のうちに切望していたのかもしれない。

「ピピと暮らし始めるなら、今日がその日!」と直感的に決めていた私は、予定していた犬を数日待つことはできず、他の犬を当たることにした。

その土曜の午後、都内のどれほどのペットショップを回ったことであろう。当初、毛並みがアプリコット色のプードルかキャバリアかと迷っていたので、選択枝はプードルが筆頭だった。しかし、どんなに優秀な血統書付きであってもいずれもピンとこなかった。パピヨン、チワワ、豆柴、ダックス、ヨークシャー・テリアなど何十頭も見つめ、抱いてみた。

あれほど知識を詰め込んだにもかかわらず、最終的には直感による「運命の出会い」を求めていた。猛暑と興奮の中、疲労がピークに達する夜8時過ぎ「この店にいなければ、縁がないと思ってあきらめよう」と1軒のペットショップに入った。

ざっと見回すとヨークシャー・テリアが数頭いる。店員が「昨日来た子たちなんです。みんな兄弟姉妹。見てみますか」と言って狭いケージから高さ120センチほどの台の上に1頭ずつ載せた。突然広くて高い場所に出されたせいか、数頭が、赤ちゃん独特のぼんやりした雰囲気のまま固まっている。

私は、疲れきった頭で「あまり惹かれないなぁ。なんだか汚い感じもするし…」と考え、何気なく腕をその台に伸ばした。

すると、それまで動かなかった塊りの中から、1匹がよろよろしながらも、しっかりした意志をもって私へと歩いてきた。そして、尻をついたその体を私の左腕にペタンとつけ私の目をじっと見つめた。

その犬は兄弟姉妹の中では一番小さかった。きっと母乳合戦はいつも後れを取っていたのであろう。これまで読んだ本には、そういう子犬は病弱なので避ける方がよいと書いてあった。

ショップで選んだ、一番小さい犬

しかし、その真摯な眼差しに(既にすごい美人だと信じていた)魅せられた私は、「ピピとの運命の出会い」を感じ取った。

「この子にします!」。迷いは一切なかった。帰路の車中では、子犬に冷房が直接当たるとよくないという店員の助言により、汗をだらだら流しながらエアコンを低めにし、子犬に振動を与えないように、膝の上に段ボールを載せ極力水平を保っていた。

夜遅く帰宅し、段ボールでケージを組み立てる。体重700グラム、大きめのサツマイモ程度のピピは、手の平に載る程度。環境に慣れるまで、あまり触れたり部屋に出さずに、ケージで様子を見るように言われていた。

ところが、しばらくするとその極小の背中を震わせて咳をしている。しかも、咳をするたび、すまなそうに後ろを向くのである。夜も段ボール・ケージに入れたままにしていると、「クィーン、クィーン」と遠慮がちに鳴く声がする。

「兄弟姉妹と別れて、心細いのね」とその夜、私の胸は切なさと愛おしさでいっぱいになった。

だが、翌日になってもピピの咳が止まらない。そこで、私は近くの獣医に診せに行くことにした。

「ケンネル・コフ(犬の風邪のような状態)ですね」と獣医は言う。その後で彼の口から出たのは、驚くべき言葉だった…。

変更履歴

記事掲載当初、「ロンリネス(独り暮らしの寂しさ)とソリテュード(独り暮らしの喜び)の間で揺れ動き」としていましたが、正しくは「ロンリネス(「ひとり居」の寂しさ)とソリテュード(「ひとり居」の喜び)の間で揺れ動き」です。お詫びして訂正します。本文は修正済みです。
2009年 5月 29日 18:30

by @kazumiryu

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