喪服
2009-05-26 21:27:25
カテゴリー kimono
365日のきもの生活から、早いもので6年がたつ。
起きている間ずっと、きものを纏っているわけではない。
家の中で着て、外出は洋服。
あるいはその逆も。
一方、夏の熱い日には一日3度もきものを着がえることもある。
体調が悪いときは、襦袢だけ身につけたら洋服に着替えることも。
ただ、雨の日も、晴れの日も、そして雪の日などは喜々として…
毎日かかさず、きものを纏う。
よって、私の周りの人は私のきもの姿に、今更驚くことは少ない。
さらに当初は新鮮に感じていた「見られる感」も減っているように思う。
それだけ、私ときものが渾然一体となってきたのかしらとうれしく感じる。
そんな中、昨日は久々に「視線」を感じた。
和装喪服で、徒歩、山手線、新幹線に乗車。
洋服でもブラックのドレス姿は凛として目立つ場合が多いので、黒の効用かもしれない。
そして、セレモニー・ホールでは何度か「ご親族の方ですか」と葬儀社の方に声をかけられた。
昨今では和装の喪服姿はそれだけ、稀有なことであるのだと再認識。
時々、きものを楽しむ人も、喪服となると一気に「特別感」が増すのだろうか。
墨黒のきものを纏ったとき、心も体もすっきりと伸び、包まれていることによる安心感が悲しみにささくれだった心を鎮めた。
そして故人への友情がすっと流れていくように感じたのである。
もちろん、喪服は着る機会が少ないに越したことはない。
私の喪服はわたしより身長が15cmほど低い母のものを工夫してきている。
母はどのような思いで、袖を通していたのであろうか…
写真は肌にやさしい風にそよぐ、花檀の風車(恵比寿ガーデンプレイス)
私の中のこども心が喜び、シャッター切った一葉。
